2008年6月アーカイブ

LOVE ME COMPANY! 愛される会社の条件―新しいCSRの考え方―バイ・ミー!からラブ・ミー!へ


僕は個人的には、企業がCSRに取り組むことについて懐疑的な考えを持っている。CSRということを主張する人を見たときに、まず感じるのが偽善臭さであり、現実感がない痛さだったりする。でも、本当はそういう偏った見方しかできない僕の方が痛いのかもしれない。大学院の授業でも、企業の倫理観や企業の社会的な責任についての講義がとにかくしつこいほどある。それだけ授業を受けてもなお、個人的にはCSRという考え方に馴染めない。倫理的に正しいことをするのも、コンプライアンスも当たり前のことであるし、これらについては特に異論はない。でも、CSRというコンセプトには、これらの当たり前のことを踏み越えたところまで積極的に取り組むことを抱合しているような印象がある。営利を目的とする企業が本当にそこまでする必要があるのか?また、企業がCSRに取り組むが故に利潤追求行為をオミットすることは、マーケットメカニズムが一部働かなくなることを意味するが、本当に世の中の厚生を改善するのか?といった疑問が湧いてくる。

そんなCSRに懐疑的な僕でも「うーん」とうなってしまうのが、本書に出てくるいくつかの企業の事例だ。J&Jやスターバックス、シャネル、アフラックといった企業の具体的な取り組みが採り上げられているが、これらの企業に共通するのはCSR的な考え方、行動が組織のDNAレベルにまで浸透していて、当たり前のように実践されている点、そして、それが競争力の源泉にまで昇華している点だ。CSRが経営の重石になっているのではなくて、逆に、ブランドの価値を高め、従業員の能力をフルに引き出し、強力な競合優位性をもたらしているのだ。これらのファクトを目の前に突きつけられると、僕でさえも、CSRに真正面から取り組むことの有効性を認めざるを得なくなる。特に「我が信条(Our Credo)」を掲げ、130年近い歴史でずっと成長を続けてきたジョンソン・エンド・ジョンソンなど驚愕に値する。

本書の中には印象的なエピソード、言葉というのがたくさん出てくるのだが、個人的に一番印象に残っているのが次の部分だ。

創業からアフラックをずっと見てきた、現在会長兼CEOのダン・エイモスが、これは米国、日本を含めてアフラックの全社的な大事な考え方としてもっているのですが、「If you take care of the people, the people will take care of the business」といっています。「人材を大切にすれば、その人材が必然的にビジネスの成功をもたらしていく」という考え方です。非常に高いレベルで仕事をするときには、人材の教育・育成をしていかなければいけないですし、ビジネスプロフェッショナルとしての活動を、私どもも社員に期待するわけです。

深読みしすぎかもしれないが、愛情の伴った厳しさのようなものを感じた。組織で人を使いながら仕事をするときには、こういう考え方を心に留めておいたほうがいいだろう。僕も、いつの日か従業員を雇うことになったときには思い出したい。

6月も終わりに近づき、3月決算会社の有価証券報告書が続々とEDINETで公開されているので、半年前に調べた大塚製薬の資本関係について情報をアップデートしてみた。

さて、前回調べた時のおさらいから。

○大塚製薬グループには未上場ながら有価証券報告書を提出している会社がある
・大塚製薬株式会社
・大塚化学ホールディングス株式会社
・大鵬薬品株式会社

○大塚製薬グループには上場企業もある
・アース製薬株式会社
・ニチバン株式会社
・株式会社阿波銀行 出資比率は小さくグループ扱いはされていないが大塚製薬グループが筆頭株


次に今回調べてわかった前回の見落とし。

・株式会社阿波銀行については、大塚製薬、大塚製薬工場、大塚倉庫、大鵬薬品の4社が共同で大量保有報告書を出している。その他、大塚化学ホールディングスも少し保有している。大量保有報告書と有価証券報告書(大株主の状況、有価証券明細表等)から判明する保有比率は合計で5.95%である。
・大塚製薬は、東証1部上場企業である栄研化学株式会社の8.41%を保有しており筆頭株主
・アース製薬は、東証2部上場企業であるフマキラー株式会社の9.08%を保有しており筆頭株主


次に今回調べてわかった直近の動き。
・大塚製薬は第三者割当増資を予定している。当該増資の概要は次のとおり。
 -取締役会決議&株主総会決議 6月25日
 -増資株式数 1,400千株
 -増資額 23,968百万円(1株あたり17,120円)
 -払込期日 7月7日
 -割当先 大塚製薬従業員持株会、野村信託銀行株式会社(大塚グループ従業員持株会信託口)、グループ各社役員等(177人)

・大塚製薬は株式移転を予定している。
 -概要 株式移転により設立される大塚ホールディングス株式会社が大塚製薬の100%親会社となる
 -取締役会決議 6月7日
 -株主総会決議 6月25日
 -株式移転による持株会社設立日 7月8日


以上はEDINETにより一般に公開されている情報である。

ところで第三者割当増資の株価が凄い。1株当りの連結純資産が38,132円、1株当りの連結純利益が4,692円であるから、PBR0.4倍、PER3.6倍になる。総会の特別決議を経ているからいいんだろうけど、今回の増資を引き受ける従業員、役員の方々はお得だよなあ。

それから今回の増資で目を引くのは、割当先にいる野村信託銀行株式会社(大塚グループ従業員持株会信託口)という長い名前の存在。届出書に記載された説明によれば、これは「信託型従業員持株インセンティブ・プラン」という野村が開発したスキームでESOP(Employee Stock Ownership Plan)の変形版らしい。この仕組みを使うと、従業員持株会は将来、今回の増資株価+αくらいの株価で信託から株式を買い付けることができる。ちょっと乱暴な表現をすると、持株会に対してストックオプションを付与したのと似たような効果があるだろう。あとは、安定株主作りにも有効だろう。今回で言えば、目先の現金を持っていない従業員持株会を突然6%弱の大株主にすることができるわけだ。もちろん、厳密には信託が株主になるのであって従業員持株会が株主になるわけではないのだが、「受益者の代表として選定された信託管理人が議決権行使等、信託財産の管理の指図を行います。」とのことなので、議決権の帰属先としては実質的に従業員持株会が株主になったのと同様の効果があるだろう。

その効果を考えると、こういうスキームに興味を示す企業は少なくないのではないかと思われる。一方で、このスキームを実際に導入しようとした際に障壁になるのが、多分、コストの問題だ。信託が借り入れを起こすので金利が必要になるということと、信託の管理をする信託銀行に事務手数料を支払わなくてはならない。したがって、信託設定後は株価が信託設定時よりもかなり高い水準で推移し続けるということが絶対の前提となる。だから「うちの株価、最近かなり安くなっているから、あのESOPもどきを使って持株会の将来の買付株価を今の株価で固定しちゃえ!」みたいな感じで気軽に導入できるものでもない。大塚製薬という優良な未上場企業だからこそ利用できるスキームだ。

増資の払込期日が7月7日で、株式移転の期日が7月8日だから、持株会社の株主構成は増資後の株主構成ということになる。それから、株式移転にあたっては自己株式には持株会社の株式が割当てられない。なので、今回の増資と株式移転が終わると大塚ホールディングスの株主構成は下記のような感じになると推測される。

株主 株式数(千株) 割合
増資&株式移転前 増資&株式移転 増資&株式移転後 増資&株式移転後
大塚化学ホールディングス株式会社 2,066 - 2,066 13.8%
大塚製薬社員持株会 559 442 1,001 6.7%
野村信託銀行株式会社(大塚グループ従業員持株会信託口) - 870 870 5.8%
大塚家個人及び財団 590 - 590 3.9%
野村ホールディングス株式会社 529 - 529 3.5%
株式会社阿波銀行 248 - 248 1.7%
株式会社りそな銀行 228 - 228 1.5%
グループ各社役員等(177人) 109 89 197 1.3%
自己株式 28 △28 - -%
その他 9,225 - 9,225 61.7%
合計 13,582 1,372 14,954 100.0%

持株会社設立後は、どんな動きをするのでしょうか?興味深いですね。
切込隊長のブログで久しぶりに興味深いエントリを読んだ。

ただ、大企業経由で海外のMBAとか取って独立した奴とか、結構な割合でハズレてたりするんですよ。凄い人もいるんですけどね… でも、全体的に見て上から目線というよりはプレイヤー根性なんです。何千万か年収とって、どこそこの大企業に出入りしていると自慢している人が多くて困る。勝ち組だといいたいのかもしれないけど、お前自身では何一つ商売できてなくて全部誰かがお膳立てした組織なり商売の仕組みの上に乗っかって、ああでもないこうでもないと言うだけの話じゃないか。

サラリーマンであっても年収が何千万円とかであればそれはそれで大成功だよなあとか思ったりもするが、プレーヤー根性という言葉の使い方は絶妙だ。他人の作った仕組みの中で踊る人と、自ら仕組みを作る商売人との間にある大きな壁の存在が浮かび上がってくる。

プロフェッショナルファームに属してコンサルタント的な働き方をしている限りは、どんなに専門的な仕事であっても、どんなにステータスが高いファームに属していても、基本は商売に対して外様として係わることになる。実際にビジネスを動かしているのは、商売人たるクライアントであり、外様はクライアントが動かしている仕組みについてワーワー騒いでいるだけである。もちろん、深くコミットして実行とそのフォローまでお手伝いすることもあるのだろうが、外様であるという事実に変りはない。

外様として仕事をすることに限界を感じると、事業の当事者として仕事をしてみたくなるものだ。仕事の場を転じた直後は、商売の仕組みの内側で仕事をすることが楽しい。ひとつひとつの経験が濃いし、うまくいくとしても、そうでないとしても、商売の結果がついてくるというのはおもしろい。でも、しばらく経つと、これにも飽きを感じるようになってくる。そのビジネスの大きな枠組みを作り、方向性を規定しているのはオーナーだったり、社長だったり、組織の上層部だったりするわけだ。組織が目指している方向性と個人の嗜好とがズレ始めると、否が応でもプレーヤーとして組織で働く限界を思い知ることになる。

そうすると、もう組織を飛び出るしかなくなる。自分がやりたいことを、自分がやりたい方法で仕事にしていきたい、そう思うようになる。冷静に考えると、これは現実が見えていない我侭な人に違いない。で、本当に飛び出してしまうと、よほどの天才を除けば本当に好きな仕事だけをして生活していくのは難しい。気がつくと、結局、目先のお金を稼ぐための仕事をする割合が高くなる。その状態というのは、冷静な目で見ると、大昔にやっていた仕事を、スケールダウンさせてこなしているに過ぎなくなってしまっている。大組織のブランドとインフラを利用してレバレッジが効いていた分、昔の方がマシなんじゃないかという気さえしてくる。今の僕の立ち位置はココである。

結局、今の自分の仕事の仕方からはプレーヤー根性が抜けていないということなのだろう。プレーヤーとしての仕事をすると目先の小銭が稼げてしまうので、ついつい、それに頼ってしまう。だが、そういう態度とメンタリティが、商売に対する覚悟と迫力を減じさせてしまう。そして商売人としての成功からは遠ざかっている。今後は、プレーヤーとしての仕事をしながらも、商売人的なエッセンスをどこまで持ち込めるか、商売人としての仕事の割合を増やしていくことを、常に意識しなくてはいけない。

最近、漠然と感じていた反省でした。
ちょっとタイミングを逸している気もするが、iPhoneについて考えたことを、そろそろひと言。


iPhoneの欠点について

とりあえず個人的にiPhoneを購入するつもりはない。また、新聞やネット等のメディアで盛り上がっているほど売れないのではないかと推測する。まあ、僕の予測なんてはずれるかもしれないけど。

いろいろなところで、いろいろな人が書いているが、iPhoneにはいくつかの欠点がある。ひとつひとつは大したものではないかもしれないけど、これだけ集まると結構大きなものがある。また、この中には致命的なものも含まれているような気がする。以下、列挙してみよう。

・モバイル用サイトの閲覧ができない
・メールで絵文字、デコメが使えない
・フェリカチップを内蔵していない
・電池パックの交換を自分でできない
・ワンセグチューナーを内蔵していない
・カメラ機能が貧弱過ぎる
・赤外線通信機能がない
・ブルートゥースで音楽を聴くことはできない

ここに挙げた中でもっとも致命的なのは、モバイル用サイトが閲覧できないことだろう。各種記事を読んでいたりすると、iPhoneでのWEB利用はSafariでPC用サイトを閲覧することになるらしい。そうすると、公式サイトだろうが勝手サイトだろうが、iPhoneでモバイル用サイトを閲覧することができなくなる。すなわち、モバゲーとかmixiモバイルだとかを使えないっていうことだ。そのうち、サイト側運営側がiPhoneに対応したサイトを用意するかもしれないし、iPhone側にそういうアプリが搭載される可能性もあるが、現時点では希望的観測に過ぎない。

また、メールで絵文字、デコメが使えないというのも、くだらないようで大きなポイントだと思う。iPhoneはどちらかというと、スマートフォンというか小さいPCとして開発されている(厳密にはもう少しコンセプトが異なるらしい)が、日本の携帯電話はコミュニケーションツールとして発達し、また、多くのシーンでそのように使われている。そう考えると、日本の携帯ユーザーの最も中心的な層が必要しているコミュニケーションツールとしての機能がiPhoneには決定的に欠けているのだ。だから、iPhoneが大旋風を起こすことはないだろう、というのが僕の推測。

それでも買う人は買うでしょう。熱烈な支持をしながら。どんな人たちが買うのか想像してみると、次のような感じだろうか。

・Apple教信者なひと
・ガジェット厨なひと
・サイト作ったりアプリ作ったりするエンジニアなひと
・一部、ビジネスユース

iPhoneのことをウェブ閲覧用の端末だと割り切ってしまえば、いつでもどこでも、手軽にPC用ウェブサイトを閲覧できるっていうのは便利ですよ。持ち歩いているノートPCをわざわざ起動させたり、持ち歩いたりする手間に比べれば、圧倒的に使いやすいだろうと思う。料金プランもまあまあお手頃な水準だし。だから、iPhoneのメインのユーザー層というのは、エンジニアだったりビジネスマンだったり、外出先でウェブサイトを頻繁に見ることが必要な人たちになるだろう。いずれにしても、今までの携帯電話の主要な顧客層とは明確に異なる層に普及することになるだろう。

でも、iPhoneのことを小さいPCだと看做すと、物足りない感じがするのも確かだ。いろいろスペック不足だし、マルチタスクが使えないというのもちょっと。。待っていれば、他のメーカーからもっと利便性の高い、すなわち、iPhoneみたいなUIを搭載していて、iPhoneの欠点をカバーしているような端末が発売されるだろうから、それを待つのが合理的なんではないかというのが僕の考え。


モバイルの未来について

iPhoneが提起するのは、モバイル端末によるウェブ利用とPCによるウェブ利用の垣根が消えていく将来についてなんではないかと感じる。

現状はモバイル端末でウェブを利用しているユーザー層とPCでウェブを利用しているユーザー層との間に大きな断絶があるような気がするし、使われているシーンも全く異なっているような気がするのだが、iPhoneはこの垣根が崩れ始めた象徴のようなものなんではないだろうか。モバイルという閉じた世界のなかで独特の発展を続けてきた各種ビジネスモデル(例えば着うたとか)について、その修正を迫られる時期がもうすぐ来るのかもしれない。

一方で、そうはならずにモバイルの世界はモバイルの世界で相変わらずPCの世界からは断絶された独特の発展をするような気もする。モバイル端末がどんなに進化したところで、その画面の大きさと入力デバイスは、どうしてもPCに比べて不便なものになるし、両者で全く同じような使い方を想定するのは不自然だ。

というわけで、あまり結論はないけどiPhoneに関する雑感でした。
不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか


正式なタイトルよりもオビに載っている「あなたの職場がギスギスしている本当の理由」の方が、本書の内容をよりよく示しているかもしれない。

ギスギスした職場とは本書の表現を借りれば、次のようなものだ。
・「皆のために」と一生懸命頑張ったのに、反応が薄い
・熱意を込めて書いた提案メールに、レスポンスがない。あるいは冷ややかな反応ばかり返ってくる。
・何回頼んでも、誰もきちんと対応をしてくれない
・そのくせ、一方的な指示を出してきて、こちらが対応していないと、キレる
・ランチタイムは社員同士ばかりがつるんで、派遣社員やパート社員は蚊帳の外だ
・イライラした空気が職場に蔓延し、会話がない
・困っていても、「手伝おうか」の一言がない
・「おはよう」等のあいさつもなく、皆淡々と仕事をはじめる

本書は、職場がギスギスしている理由について、組織成員同士の「協力関係」が崩れているからだと丁寧に説いている。そもそも、ヒトはどんな場面で進んで協力し合うのか、また、協力せざるをえなくなるのか、役割構造、評判情報、インセンティブの3つの観点から解説がなされている。

僕のおおざっぱな解釈では、協力しないことが個人個人にとって合理的、すなわち、協力しないほうが得になるような環境、協力しなくてもばれないような環境がギスギスした職場を作るのだということだ。

そして、そういう環境は組織成員である個人個人の責任なのではなくて、組織を設計、運用する側の問題なのだ。皆が進んで協力しながら仕事を進めていくような組織を作るためには、そのための仕組みや仕掛けを用意して、それをアクティブに回し続けなければならない。本書では、そういう協力し合う組織の事例や方法も解説されている。

経営者や経営企画部、人事部の人なんかは、是非、一読した方がよいだろう。組織の構成員同士が、協力しないほうが得になるような環境、協力しなくてもばれないような環境を放置するなんて、組織運営に携わるものとして終わっていると思う。
先日、会計事務所に勤務していた頃にお世話になったボスの召集により、その頃一緒に働いていた上司や先輩、同僚達との飲み会があった。

昔やってきた仕事の話を皆で思い出したり、ボスが今やっている仕事の話を聞いていて、つくづく感じたのは「この人は、人を育てるのがうまいひとだなあ。」ということ。このボスの下からは、その日の飲み会に来ていない大先輩達を含めて、とても多くの個性的で優秀な人たちが巣立っていっている。会計士という枠では捉えきれなくて、ちょっと異端な雰囲気ではあるのだが、たくましくてビジネスがうまい感じの人が多い。

このボスの人の育て方は結構厳しくて、「おもしろい舞台を用意してやったから、お前、そこで踊りきって見せろ!」という感じだった。よくわからない仕事にいきなり放り込まれて、結果を出すというのはしんどいけれど、やり方についてはかなりの裁量を与えてくれるので、やりきった時の達成感とか充足感はとても大きい。そのボスはチームの誰かが新しいアイディアやコンセプトを試してみることを積極的に奨励している、そして、うまくいった方法はチーム内で共有していた。また、ものごとの本質をシンプルに見抜くような考え方を徹底的にチームメンバーに説いていた。そして、チームメンバーの成長ということを比較的高い優先順位で考えてくれていた。ビッグファームのパートナーなのだから、大物なのは当たり前かもしれないが、こういう人の下で働いた数年間は僕にとってとても貴重な経験だった。

そんな風に昔のボスのことを思い出しながら考えていたのが、最近まで働いていた事業会社のボスのこと。この人は、事業をゼロから立ち上げ比較的短期間で上場企業にまで育てている。そして、今尚、事業を成長させ続けている。その一方で、この事業会社からは人材が輩出されているという感じが全くしない。もともとある程度のタレントがある人たちを集めて、その力を使って事業を回していくようなイメージだった。もちろん、急成長する事業の中に身を置いて、いろいろと試行錯誤する経験というのは、おもしろいし力がつくのだが、この会社での仕事を通じて大化けした人というのは、今のところ皆無だ。

事業を成長させていくことが最優先なので、仕事を部下に任せ切るということができていない場面が多いし、従業員の成長ということの優先順位はかなり低いものになっていたのだろう。だから、人の潜在的な可能性を引き出すということが少ないし、チームで何かをやり遂げるワクワク感や熱さがもうひとつ足りないのだろう。それでも、この人は事業を成長させるという結果を残し、その事業によって世の中に付加価値を提供し続けている。

人を育てることと、事業を育てること。どちらの価値が大きいのか、同じ次元で比べることはできないし、僕が仕えた2人のボスについて優劣をつけたいわけではない。なんとなく、あるい意味で対極にある2人のスタイルが気になったので書きとめようと思った次第。

ちなみに、世の中には、人を育てることと事業を育てることを両立させている経営者もいる。僕が一方的に師事している、とある未上場企業の経営者の方は両方ともとても上手い。そういう人の場合、成功の仕方が半端ではない。また、残念ながら僕は直接接したことは無いが、各種記事や本で取り上げられるような著名な経営者の中にはそういう人が少なからずいるのだろう。
今日書く内容は、僕の知識不足故に細かい部分については不正確な記述が多分に混ざってしまうのだろうが、方向性としてはかなり正しいと考えている。もちろん、根本的に誤っているようであれば、素直に考えを改めますので、異論、反論があれば是非お願いします。

さて本題。僕は「まともな基幹系システムを作るSEには会計のセンスが必須」という仮説を持っている。逆の言い方をすると、会計センスがないSEが基幹系システムを作るとまともなものにならない、となる。会計センスというとちょっと曖昧なのでもう少し具体的に言うと、複式簿記の思想をシステム設計に持ち込むことができるかどうかということになる。更に踏み込んで言うと、基幹系のテーブル定義やインターフェースファイルの定義が複式簿記の思想を持ったものとして設計できているかどうかとなる。

複式簿記の思想がまともな基幹系システムに必要となる最も大きな理由は、基幹系システムの情報は最終的に会計系システムに繋がっていくので、情報の上流にあたるの基幹系システムが複式簿記的な思想で処理されていないと、下流の会計系が受け取る情報がぐちゃぐちゃで使い物にならないということだ。

会計センスがない(あるいはそれを軽視している)SEやITコンサルタントが基幹系を設計するとどうなるか?

・ストック概念とフロー概念の区別がついていないために、フロー情報である取引データのテーブルのなかにストック情報を示すカラムが混ざっていたりする。例えば、仕入取引のテーブルの各レコードが買掛金残高のカラムを持っていたりするのだ。で、その仕入取引レコードに含まれる買掛金残高が支払いによって刻々と減っていく。その結果、今現在(最新)の買掛金の数字しか知ることができず、月次や年次の決算時の買掛金残高を後から遡って把握できない、という信じられないシステムができあがったりする。複式簿記がわかっていれば、買掛金のトランザクションを別テーブルで管理するとか、普通に発想できると思うのだが。

・ストック情報とフロー情報が整合しないデータを吐き出してくる。例えば、物流系から出てくるデータを見ると、期首在庫数+期中受入数量=期中払出数量+期末在庫数という当たり前の算式が成り立っていないことがある。会計センス以前の問題かもしれないが、すくなくとも、複式簿記のセンスがあればこういう勘定が合わないシステムを設計するようなことはないだろう。

・あとは、貸借がバランスしないインターフェースファイルを会計系に流そうとしてくる、とかそんな感じ。このケースでは会計側でバランスしないインターフェースファイルを拒絶すればいいじゃないか、というだけでは済まない。拒絶すれば、当然、その分だけ記録が欠落するのだ。企業活動の一部が会計記録に残らなくなってしまう。また、そもそも基幹系から吐き出されてくる仕訳の貸借がバランスしないというのは、基幹系内部での処理において計算あるいはデータの一部が重複していたり欠落している可能性がある。

基幹系がこのような酷い状態だとどうなるか?しばらくは、対処療法的な補修に補修を重ね、だましだまし、そのシステムを使い続けることも可能だろう。しかし、基本的な設計思想がおかしいのだからいつまでも対処療法で済むわけがなく、最終的には根本的に作り直す必要が出てきたりする。最終的な投資額はかなり膨らんでしまうだろう。また、監査法人がこのような状態を見つけたらリスクだ。見なかったフリをしてくれるかもしれないけど(笑)、最悪の場合は逃げることもあるだろう。内部統制の信頼性が無いことを理由に意見表明を差し控えるか、契約を破棄するか、という事態も考えうる。

さすがにパッケージベンダーから提供されている基幹系であればこの辺の心配をする必要は小さいだろう。問題は、SIerやITコンサルファームに発注してゼロから構築する場合だ。担当するSEやITコンサルタントの会計センス次第では、莫大なコストと時間をかけた末に使えないシステムが出来上がってしまうことがありうる。

個人的な経験では、SEの方々やITコンサルの方々というのは真面目で優秀な人が多いという印象を持っている。そいういう優秀な人であっても、会計の基礎的なセンスがないために、悲惨なシステムを設計してしまうことがある。優秀なSEがその能力を存分に発揮して優れたシステムを開発するために、是非、会計のセンス身につけて欲しいと思う。僕らとしては微力ながらも、その役に立ちたいと考えている。

(追記)
自分で読み直していて、わかりにくい文章だなぁと感じた。自分の考えを他人に対して分かりやすく説明する能力がまだまだ足りないのだろう。

ぐだぐだと読みにくい文章を書いてしまったのだが、後から考えを整理してみると、言いたかった内容は次のようにかなりシンプルになった。

複式簿記は、企業活動を記録、集計するための仕組みとして、最も洗練され、かつ、最も広く使われているものである。したがって、企業活動の根幹にかかわる基幹系システムは複式簿記的な思考を考慮して設計されることが望ましい。

どうでしょうか。

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